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2020.09.02
渋谷の街が一回死んだ――30年以上続く老舗喫茶店から見たコロナ禍の渋谷
寺嶋和弥(茶亭 羽當)
渋谷駅から徒歩3分ほど、宮益坂下の交差点近くにある『茶亭 羽當(ちゃてい はとう)』は、店内に足を踏み入れた瞬間、直前までの喧騒が嘘だったかのように穏やかな空気が体を包み込む。近隣で働く人々や地元の住民たちから愛され、ブルーボトルコーヒーの創業者・ジェームス・フリーマンが、日本に来るたび立ち寄る銘店としても知られる老舗喫茶店は、渋谷の街をどのように見てきたのだろうか。1989年の開店時からカウンターに立ち続ける寺嶋和弥さんに、多くの常連客を虜にしてきた店の魅力について、そして「渋谷の街が一回死んじゃいましたよね」という新型コロナウイルスの影響について話してもらった。
取材・テキスト:タナカヒロシ / 写真:天田輔
YOU MAKE SHIBUYA連載企画「渋谷のこれまでとこれから」
新型コロナウイルスの影響で激動する2020年の視点から、「渋谷のこれまでとこれから」を考え、ドキュメントする連載企画。YOU MAKE SHIBUYA クラウドファンディングとCINRA.NETが、様々な立場や視点をお持ちの方々に取材を行い、改めて渋谷の魅力や価値を語っていただくと共に、コロナ以降の渋谷について考え、その想いを発信していきます。
──寺嶋さんは1989年のオープンからいらっしゃるんですか?
寺嶋:そうですね。ちょうど平成元年で、当時22歳だったんですけど、その前は新宿のコーヒー屋さんでアルバイトをしていたんです。そこでオーナーと知り合って、渋谷の一角でこういうコーヒー屋をやってみたいんだと話をしてくれたのがきっかけでした。
──それまでもバリスタをされていたんですか?
寺嶋:当時はバリスタなんてかっこいいもんじゃないですよね。でも、その頃もカフェブームがあって、個性的なマスターがいっぱいいたんです。なかにはコーヒーをちゃんと飲めないヤツは出ていってくれみたいな雰囲気を醸し出すマスターもいて、面白かったですね。うちのオーナーも個性的だったので、そこに惹かれてやってみたいなと思ったんです。
──なぜ渋谷に出店することになったのでしょうか?
寺嶋:もともとオーナーの友人が、ここで喫茶店をやっていたんですけど、お店を閉めたいということで引き継ぐことになったんです。ただ、内装とかは全部一回壊して、漆喰と天然木の梁で、どっしりとした店に変えました。この店に入ると渋谷の喧騒から離れて、異空間に入るというか。ちょっと違う空気が流れている雰囲気は出そうねということは、いまも昔も変わらないところかなと思います。
──お客さんに合わせてカップを選ぶスタイルは、いつから始まったものなんですか?
寺嶋:開店したときから、ずっと変わらないです。カップが好きなので、たくさん並べて、お客様を見てインスピレーションで選ぶスタイルでやっていこうと。
──カウンター席があることも特徴的ですけど、当時は一般的だったんですか?
寺嶋:昔は必須条件だったと思いますよ。カウンターでの会話を楽しむためにお越しになる方も多くいらっしゃったので。ここも少し前までは8〜9割が常連さんだったんです。最近は若いお客様、それも高校生くらいのお客様も増えましたけど、すぐ携帯をいじって、ほっといてくれみたいな雰囲気を出す方も多いですね。
──高校生にとっては、決して安いお店ではないですよね。
寺嶋:そうですね。レトロ感なのか、カップがたくさんあるからなのか、理由はよくわからないんですけど、若い子はかなり増えました。ちょっと背伸びした感じで入ってくるので、うれしいですけどね。
──コーヒーへのこだわりについても教えていただけますか?
寺嶋:ドリップの仕方は、ペーパードリップとネルドリップの2種類を使い分けています。それから豆の鮮度ですね。大正時代から続いている老舗の山下コーヒーさんから卸してもらっているんですけど、無理言って週2回焼いてもらって、焙煎から3〜4日以内の豆を使うようにしています。
──鮮度が落ちると味も大きく変わるものなのでしょうか?
寺嶋:絶対的にそうですね。あと、季節によっても豆の表情が変わるんです。夏は湿気を吸ってしまうので元気がない。冬になって乾燥してくると、豆がばーっと元気になって、香りも高くなります。そうやって豆と会話しながらコーヒーを作っていますね。
それから産地によっても豆の表情は変わります。いまは7種類のストレートコーヒーを出しているんですけど、豆ごとに蒸らしの時間を変えたり、お湯の温度を上げたり下げたりして、いちばんいい状態でお出しできるように気をつけています。
──そんなに細かくアジャストされているんですね。さすがです。
寺嶋:いや、さすがじゃないんですよ。普通のことを普通にやっているだけなので。
──失礼しました! ブレンドコーヒーはお店の看板だと思いますが、こだわっている点を教えてください。
寺嶋:コーヒー豆は大きく分けて苦味系と酸味系があるので、その真ん中にバランスを取るようにしています。万人受けする味という言い方は適切じゃないかもしれないですけど、どなたにも受け入れてもらえるのがブレンドだと思うので、迷ったらまずブレンドを飲んでいただければと思いますね。最近は酸味系でフルーティーな香りのコーヒーも人気なので、そういう味がお好みの方はドミニカやグアテマラの豆を選んでいただけるといいかなと思います。悩んだらお気軽に話しかけてください。
──カウンター席で相談しながら選ぶのも楽しそうですね。寺嶋さんにとって、渋谷はどんな街ですか?
寺嶋:もう30年以上、毎日通っていますけど、やっぱり職場の近くだから、渋谷では思いっきり遊べないんです。ただ、街の移り変わりをずっと見てきたので、面白いなと思います。スクランブル交差点も、30年前は本当にただの交差点でしたから。
──渋谷でお気に入りのスポットはありますか?
寺嶋:青学の横とか、松濤の手前とか、ちょっと中心から外れたあたりでやっている飲み屋さんは、若いときから行っていたので、いまでも「元気?」みたいな感じで、たまに顔を出しています。一緒に成長しながらというか、一緒になんとかやってきた人たちなので、行くと安心できるんです。だからお気に入りスポットというよりは、安心スポットみたいな感じですね。
──新型コロナウイルスの影響で、一時は渋谷から人がいなくなったと言われましたが、お店にも影響はありましたか?
寺嶋:それは本当に大きかったです。まず年配の方がいらっしゃらなくなって、それからまわりの企業の方も姿が見えなくなって。昼間ここで打ち合わせされていた方とか、パソコンを開いて作業していた方とかが、すーっといなくなっちゃったんです。
緊急事態宣言が出たときは、お客様が3分の1くらいまで減りました。自粛要請で営業時間を短くした影響もありましたけど、渋谷の街が一回死んじゃいましたよね。ゴーストタウンのようになって。いままでも震災のときとか、バブルが崩壊したときとか、ぐーっと落ち込んだことはあったんです。だけど今回は、先が見えない不安がありますよね。ここまでがんばれば日常を取り戻せますよっていうのが見えてこない。
ただ、そのなかでも元気な若い子たちが入ってくると、まだいけるんじゃないかなっていう気持ちにさせてくれるんです。こういう時期に若い子たちが出歩いてるのはどうなのかと言われてますけど、うちのお店に関しては救われた部分もあるんですよね。
──若い子たちが元気な渋谷であってほしい。
寺嶋:絶対的にそうですね。僕も若いときから渋谷をブラブラしていたほうですから(笑)。ハメを外しすぎるのはよくないですけど、変に落ち着かないほうがいいんじゃないかなって。
──海外のお客さんも多かったんじゃないですか?
寺嶋:そうですね。もともとブルーボトルコーヒーのジェームス・フリーマンさんが、15年くらい前からのお客様なんです。ドリップをじーっと見ていて、最初は変な外国人だなと思ってましたけど(笑)。日本に来ると必ず寄ってくれて、「僕もサンフランシスコでこういうお店をやりたいな」みたいなことを話していたんですよね。
そんな彼の影響もあって、海外から来るお客様も多かったんですけど、コロナの騒動が起きてからは、まったく見なくなってしまいました。ようやく最近になって、台湾系の方が何組か来るようになったくらいです。
──コロナの影響で新しく始めたことはありますか?
寺嶋:サーキュレーターで空気の循環をよくして、営業中は表のドアを開けて、大きいテーブルにはパーテーションもつけて、アルコール消毒もして。あと、ホールに出るスタッフはマスクをつけるようにして。ありきたりですけど、なるべくここの雰囲気は変えたくないんですよね。うちに来るお客様は、ここの雰囲気が好きで、ここに来ることが目的だと思っているので。
──当たり前にやるべきことはやりつつ、できるだけ雰囲気を壊さないように。
寺嶋:そうですね。カウンターも以前は14席あったんですけど、いまは10席にして。さらに1席ずつ間隔を空けて座っていただくようにして。テーブルも一時はだいぶ間引いたんです。でも、自分たちの努力でお客様が間隔を保つことができるんじゃないかということで戻しました。
盛り上がりすぎてしまったお客様には、「こういう時期ですので、少し抑えていただけませんか?」とお声がけさせていただいたり、満席になって並んでいるお客様がいるときは、心苦しいんですけど長めにいらっしゃるお客様に席を譲っていただいたり。人海戦術ですよね。
──席を減らすと、やはり売上にも影響はありますか?
寺嶋:減りますね。いまもピーク時の6割くらいかな。7割はいかないですね。
──場所的に家賃の支払いも大変ですよね。
寺嶋:そうですね(笑)。でも、大家さんもご理解のある方で、いちばん最初に声かけてくれたんです。よく店の様子も見に来てくれますし、そういう人情的なところも、まだまだ残っているんですよね。だから、渋谷という大きな街で30年以上続けてこれたのは、大家さんのご理解とか、地域の方の応援とかが大きいなと思います。
このへんは住人の方も多いんですよ。少し奥に行くと、昔から住まわれてる方がいて。ただ、みなさん年齢が高くなってきたこともあり、コロナ以降は姿が見えなくなってしまいました。収束すれば戻ってきてくれると信じて、自分のモチベーションを保っていますね。
──これからの渋谷はどう変わっていきそうだと感じていますか?
寺嶋:やっぱり不安ですよね。大きな再開発も進んでいますけど、こうして小さく商売しているところが生き残っていける隙間を残してほしいです。
──ここは守りたいと感じる渋谷の魅力を教えてください。
寺嶋:若い視点からは言えないですけど(笑)、緑が多いと思うんです。後ろ側には明治神宮や代々木公園があって、季節を感じられるようなところが好きなんですよね。ちょっと外れるとオーチャードホールがあったり、NHKホールがあったり、シアターオーブがあったり、落ち着いた文化圏もありますし。そういうところは守ってほしいなと思います。
──繁華街として賑わう一方で自然や文化的施設もあって、そういうごちゃまぜ感が渋谷のいいところなのかもしれないですね。
寺嶋:そうですね。渋谷はすり鉢状の地形になっているじゃないですか。その底にスクランブル交差点があるのは象徴的じゃないかなって。
■INFORMATION
茶亭 羽當
東京都渋谷区渋谷1-15-19 二葉ビル
TEL 03-3400-9088
営業時間11:00〜23:30(ラストオーダー23:00)
実行委員長
大西賢治
渋谷区商店会連合会 会長
不要不急の外出の自粛など、皆さんの協力のおかげで最大の危機を乗り越えることができたと感謝しております。しかしながら、カルチャーの発信地でもある渋谷を支える多くの商業や産業は、いまだ大きなダメージを受けています。事業者の方々はこの先に不安を抱きながらも、日々努力と工夫を重ねながら事業を存続できるように頑張っています。みなさんが、安心して渋谷を訪れ、安全に楽しめる街になり、渋谷の街が元気を取り戻すことで、渋谷だけではなく全国の商店会も活気が出ると思っています。渋谷を愛する皆さんのお力をぜひお貸しください。